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前の投稿記事が、1年ぶりだったのですが、
今回は、その記事から更に2年が経過してしまいました。 うっかりすると、ブログを削除されたのではないかと 恐る恐る除いてみたところ、まだ残っていたので、 安心した次第です。 トイレ掃除は、ずっと続けています。 1日もさぼることなく。 どんどんいいことが起きていますよ。 おかげさまで、どんどんいい流れが できている気がしています。
前に投稿してから、実に丸1年が経ちました。トイレ掃除は毎日続けています。10月10日で、5周年を迎えました!これからも続けるつもりです。
小林正観さんのことを教えていただいたのは、1997年。そうか、今年で10年なんですね。
最初は名前を存じ上げているだけで、本を読んだり、講演会に行ったりということもありませんでした。小林正観さんのことを知っても、最初の6年はそのまま。それがいつの間にか正観ワールドに引き込まれ、今年は出会って10年、トイレ掃除の実践4年という、区切りの年なのでした。 (写真は、私が最初に読んだ正観さんの本です。) ![]()
私のトイレ記念日は、10月10日。トイレ掃除を始めてから、丸4年が経ちました!1日も休まずだから、我ながらよくやっていると思います。
先週末は、少しばかり田舎の散策に行ってきました。田んぼは稲刈りをしてありました。金木犀も、あのいい香りを漂わせておりました。行楽にはいいシーズンですね。 ![]()
トイレ掃除に加えて、お風呂掃除を始めた件は前に書きました。お風呂に入ったら、からだを洗う前に、まず掃除。きょうはお風呂の中の棚の掃除をやりました。歯ブラシを持ち込んでいるのですが、掃除にはこれが重宝します。こまかいところの汚れが取れると、すごく嬉しい。年末の大掃除の時だって、こんな細かいところを掃除していません。少しずつお風呂がきれいになっていくのは、とても気持ちがいい。なるべく少しずつ、少しずつを心がけています。明日はこの辺きれいにしよう、とか思うとそれだけで楽しくなってきます。この「ちょこっと掃除」だから毎日続けるのが苦にならない。
お風呂場が終わったら、次は洗面所の掃除をしようかと思っています。正観さん曰く、神様はきれい好きな人が好きとのこと。 物にも魂があるのではないかと思っています。掃除をしてあげたら、きっと喜んでくれているはず。そういう物たちは、私のことをきっと支えてくれているんだという気がしています。 喜んでくれるもの、喜んでくれる人がいるのは、とても嬉しいです。
『講演会を30回くらい聞いていた方が、2年ぶりに涙ながら、このように電話してきました。
「夫の体調が悪いようなので、病院に行ったら脳腫瘍だった。2~3年の命と宣告されました。どうしたらいいでしょうか。辛くて辛くてしょうがありません。(中略) 「(中略)自分の辛く悲しい感情というのは、その現象を否定しているからであって、その現象を受け入れれば、どこにも悩み苦しみは存在しないのです」(中略) 「夫が2年か3年で死んでしまうかもしれないと思うのであれば、夫が死ぬまでに、『君に会えてよかった。君を妻にしてよかった。一緒に暮らすことができてよかった。本当に幸せな人生だった』と言いながら死んでいくような2年~3年を過ごさせてあげたらどうですか」(中略) 死なせないぞ、ではなくて、2~3年で死ぬかもしれない、ということを受け入れて、その日に向けて、今できることを全部やっていく。 これを「受け入れる」と言います。』(心がなごむ秘密の話 p.20~) 日々、こうなったらいい、ああなってほしいという「思い」でいっぱいになっています。でも、できるだけその「思い」を捨てるように、少しずつ心がけています。「ああしてほしい、こうしてほしい」というのは、神さま、仏さまに盾突いているということ。「受け入れる」ということはどういうことかというと、私としては、身の回りに起きていることというのは、すべて自分にとってベストなのだと受け止めることだと思っています。もし、あと余命2年と宣告されたら、その2年間生かしていただけることに感謝できるような、そんな見方のできる人になりたいなあと思っています。(あれ?これも「思い」かな?)
小林正観さんの「心がなごむ秘密の話」のp.8に、臨死体験をされた人の話が載っていました。
『林を出てお花畑に入ってすぐ、こんな声が聞こえました。「あなたの人生についてのまとめを聞くから、考えておきなさい」 その人は30年間で、人の10倍も切磋琢磨して、怠けたり休んだりしないで、働いてきたので、たくさんのことを考えていました。そして、神さまから褒められるとおもっていたそうです。 川べりまで行ったら、このように聞かれました。 「あなたは、人生をどれくらい楽しんできましたか」』 死んだら、こんなことを聞かれるのだそうですよ。みなさんはこの問いにどのように答えられるでしょうか。小林正観さんは、神さまからそう聞かれたら、8千時間くらしゃべるつもりなのだそうです。 まあ、私の場合にはそんなに長く話すだけのネタはありませんが、少しでも力を抜いて、楽しんで生きていきたいと、改めて思い直しました。 子どもって、楽しむのが上手ですよね。今日、家に帰ったら、子どもと顔が合ったので、「ベロベロバー」って舌を出したら、ケラケラ笑っている。それで同じこと何回やっても、相変わらず何回も笑います。お父さんは面白いことよくやってくれるね、と言われるのですが、笑ってくれるからやるだけのこと。お父さんが笑わせるのが上手なのではなくて、本当はあなたが笑い上手なんだよ。 小林正観さんの講演会に行くと、みんな楽しそうによく笑っています。笑いの上級者というのは、正観さん曰く、とりあえず笑っておいて、後で「なんで面白かったの?」って聞く人のこと。 笑いの上級者になったら、人生楽しそうですよね。
朝日新聞を見ていたら、小林正観さんの本の広告が割とでかく出ていましたね。ご覧になった方も多いかと思います。サンマーク出版の『「そ・わ・か」の法則』の紹介でした。私もつい先日この本を読み終わったところです。
『流し、風呂・洗面所、トイレの水回りをきれいにすると、普通のリュックで金銀財宝を持ってきてくれた神さまを大事にすることになり、大きなリュックで金銀財宝を持ってきた神さまを大事にすることになり、さらには「かに族」ふうの、バカでかいザックを背負ってきた「うすしま明王さま」を大事にすることになるので、この三か所をきれいにしているとお金に困らなくなる、というのが「お蔭さま」からの話なのです。』(そ・わ・かの法則 P.37) 3年半、毎日トイレ掃除を続けてきました。これを読んで、お風呂もきれいにしようと思って、洗面器とか、タイルとか、風呂に入ったついでに少しずつですが掃除をすることにしました。これもやってみると気持ちがいいものです。きれいになると、洗面器さんが喜んでくれるような気がします。
最近、髪のカットは美容室に行っていました。美容室のほうがカット代が安いということもあります。床屋さんは髭を剃ったり色々してくれるけれど、ちょっと高いんですよね。
以前行っていた床屋さんの前をたまに通るのですが、土、日でも閑散としていることが多いようでした。20mくらい離れたところに別の床屋さんが新しくできたり、もっと立地条件のいいところに美容室もたくさんできているので、その床屋さんは経営的に大変なのかもしれないと思っていました。 なので久しぶりに、その床屋さんに行くことにしました。そしたら、私がカットしてもらっているほんの5~10分くらいの間に、3人ものお客さんが立て続けにお店に入ってきたのです。待合席は狭いから、3人ですでに満員。それにしても、この床屋さんに4人もお客さんがいるなんて、見たことがありませんでした。少しでもお客さんが集まって、よかった、よかった。 『ある経営者が、こんな話をしてくれました。 「会社の経営には”ツキ”が大事だと思うんです。 私がお昼休みに空いているそば屋を選んで入ると、すぐに人がたくさん入ってくる。(中略) これは私が人を呼んでいるのだと思い、それからは、外出先で店に寄らず、そのツキを会社までまっすぐ持って帰るようにしています。」(中略) もしもその人がツイていて、人を呼び寄せているのなら、なぜそのツキをほかの店にも分けてあげようと思わないのでしょうか。 ほかの店にもたくさん寄って、その店を流行らせて、それから自分の会社に戻ればいいでしょう。(中略) 自分がツイていると思うなら、そのツキを分かち合うことができれば、もっとツキまくります。投げかけたものが返ってくるのが宇宙の法則。それも倍返しで返ってきます。』 「楽しく上手にお金と付き合う」(p.177)
近くの公園に子どもを連れて行きました。青空が余りにきれいで、思わずパチリ。桜はほぼ散りかけてはいましたが、一緒に写ってもらいました。
「あー、飛行機雲~」 「あの雲は、ワンちゃんみたい」 そんな言葉を交わしながら、しばしベンチで横たわり、青空に浮かぶ雲を見つめていました。 ![]()
近場に旅行に行っていました。直前まで、週末はずっと雨の天気予報でしたが、旅行中、一度も雨には降られませんでした。でかける日は朝から大雨だったのですが、車で出発する頃には雨はあがり、午後はとても良い天気になりました。2日目はくもり時々晴れ、3日目も朝から晴れ。家に帰って、夜になってから雨が降り始めました。
天気予報では、3日間とも雨マークだったので、初めから雨だと覚悟していました。だから、晴れになってくれたことが、とてもありがたく感じられました。
我が家は郊外にあるので、まだ自然の生き物が豊富です。今は朝起きるとウグイスがきれいな歌声を聞かせてくれます。夏にはヒグラシが「カナ カナ カナ」と鳴いています。もともとは都心に住んでいたので、どこか田舎のほうに行った時くらいしか、ウグイスやヒグラシの鳴き声なんて聞こえませんでした。やはり自然に囲まれた生活はとても落ち着きます。
朝起きて窓から外を眺めると、朝日がとてもよく見えます。これは傾斜地に住んでいるならではの特典。空が茜色に輝き、とてもきれいです。思わず見入ってしまいます。丘の木々の間から見える朝日はとても美しい。 家から最寄駅まではバイクを利用しています。仕事が終わって、家に着いてヘルメットを脱ぐと、きょうも一日が終わったなあ、という感じがして、ほっとします。そこでたいていは空を見上げて、月にごあいさつ。月があまりにきれいなときには、しばらく階段に座ってお月見をします。とても幸せなひととき。 そして、家屋にも「今日一日守ってくれてありがとう」と話しかけながら家に入ります。 きょうは桜がきれいに咲いていました。いつの間にこんなに咲いたのだろう、とびっくりしてしまいました。朝、晩いつも通っている道なのに、急いでバイクで走り抜けているだけなので、気づかなかったのかな。 きょうも素敵な一日をありがとうございました。
今日から『釈迦の教えは「感謝」だった』(風雲舎)を読んでいます。この本を読むのは、まだ2回目か3回目です。この本には、般若心経の解説がありますから、般若心経を暗唱しようとしている人にはお勧めです。
正観さんの本も、最近は一般書店に並ぶようになりましたね。本当は、ご自分の本を一般書店に並ぶようにはしたくなかったそうです。けれど、「手違い」でそうなってしまった、とおっしゃっていました。 正観さんの本はたいてい毎日持ち歩いています。何回読んでも、新しい発見がある気がします。 『釈迦の教えは「感謝」だった』は、3章の途中まで読んだところ。 『実はお釈迦さまが伝えたかった「苦」とは、「思いどおりにならないこと」という意味だった。 そこからお釈迦さまは 受け容れることが楽になることであり、自分の思いどおりにしようと思うから、悩んで苦しむのですよ ということを、二千五百年前に見通したのです。』 (前掲 P.70) 『つまり、自分以外の人間が思いどおりにならないこと、そして自分の思いどおりにしたいことが、実は悩み・苦しみの本質であったのです。』 (前掲 P.55) 「苦」とは思いどおりにならないこと。このことを教えていただいて、般若心経のこと、仏教のことが少しだけわかった気がしました。
昔は、蚊や小さな虫を平気でつぶしていました。でも、最近はかなり抵抗感があります。なるべくならば、殺生したくない。
一度だけ伊東にある正観荘にお邪魔したことがあります。正観さんは、部屋に入ってきた虫を網で捕まえて外に逃がしていました。 でも、やっぱりゴキブリと蚊だけは・・・ごめんなさい。夜、耳元で「プーン」とやらたら、眠れなくなるので、探してたたいてしまいます。それから血を吸っている所を見つけたときも。 良寛さんは、蚊に血を吸わせるために、わざと蚊帳から足を出して寝ていたそうですね。正観さんの本のどこかに書いてありました。なかなかそういう域には至りません。 そうそう、我が家も3年ほど前から、蚊帳にしているんです。蚊帳は実に快適ですよ。蚊を殺さずに済みますから。それに殺虫剤を使わずに済むから、健康にもいいし。今年の夏、是非お勧めです。
こっそり白状しますが、仕事をする能力があまりなさそうです。大学の時に専門の勉強はまったくせず、関係ない本ばかり読んでいたものですから、基本的な知識が身についていないからかもしれません。
それでなんで会社員としてやってこれているのかというと、ものすごく仕事のできる先輩がいて、その人が難しい問題やら他部署との交渉とかを一手にやってくださっていたからです。私は単にその人から言われたことをやっていれば良かったのです。 でも、今年転勤になってしまいました。会社に入ってからずっと一緒だったその先輩とは離れ離れになってしまい、どうしたものかと途方に暮れていました。そんなとき、中途採用でとても優秀な人が入社してきたのです。私よりずいぶん若いのですが、かなり仕事の出来る人です。その人のおかげで、またなんとかやれている感じです。 とても、私はラッキーだと思います。ツイテイル人間です。自分の能力はたいしたことないのに、いつも回りに自分を助けれくれる人が存在してくれる。 プライドもなにもありませんから、その若者に仕事を任せ、私はまたマイペースで自分にできる範囲の仕事をしているのです。 まだ会社に入りたての頃、公共の試験所などにいくと、机に新聞を広げて暇そうにしている職員をよく見かけました。こっちは一所懸命働いているのに、楽して金もうけしやがって。そんなふうに思っていました。でも最近は、自分が自分の働いている以上に給料をいただいているような気がしてますから、あまり厳しい見方をしなくなりました。楽してお金を稼げるなら、それがいいじゃないですか。 これは、ズルをするとか、そういうことではありません。振込詐欺をするとか、そういうことでもありません。ただ、たくさんの人が、金回りがよくなって、楽できる世の中になるといいなあなどと考えています。 気をつけているのは、やる羽目になったことを大事にしてやる、ということくらいでしょうか。
喜ばれる存在になる。小林正観さんはよくおっしゃいますが、私には人を喜ばす能力もないし、面白い話をできるだけの知識もない。そんなことを思っていましたが、下記の文章を読んで、気が楽になりました。これだったら、自分でもちょっとはできるかもしれない。特に、マイクスタンドの話が、私にとってはヒントになりました。
『その年には、いくつかの答えがきたのですが、一番体が震えるものでした。私自身が全然想像をしない答えでした。人間が、機能というものを持っていて、その機能の数は、自分の存在が喜ばれた数だけ存在するというのは、私の頭脳では全く想像し得ない答えだったのです。 例えば、隣のおばあさんが駅の階段を上っているときに、荷物を持ってあげた。「ありがとうございます」と言われた瞬間に、私がこの世に産まれた意味があるのです。 駅で、びしょ濡れになって立っている人がいて、自分が帰る方向が同じだったとき、傘をさしかけて、「途中まで一緒にいきますか」と言って、「ありがとうございます」と言われたときに、それが機能の一つになります。 しかも、相手は人間だけではありません。例えば、私がマイクスタンドを机の上に、そっと置いたときに、「ああ、この人の前にマイクスタンドとして存在してよかった」とマイクスタンドが思うと、「喜ばれた」ということなのです。(中略) だから、人間だけではなくて、すべてのものから喜ばれたときに、「私」という存在は機能をもつことになる。 実は、この世に生まれてきたことの意味は、喜ばれることであり、その機能の数は、人間だけが上限がない。これはすごいことであって、私は本当に絶句してしまいました。』 (心がなごむ秘密の話 小林正観著 宝来社 p.183~)
寝るときには、「ありがとう」という文字がいっぱいプリントされているパジャマ」を着て寝ています。枕元には、蓮の花のカレンダー。妻と子供は、「ありがとう」の文字がたくさんプリントされているシーツを敷いて寝ています。
そのせいか、子供は大変元気に過ごさせていただいています。昨年は一日も学校を休みませんでした。私も先日、お腹をこわした以外は病気らしい病気もせず、元気に過ごしております。 財布は、もちろん「友を呼ぶ財布」。通帳には、ありがとうバンダナを巻きつけている話は先日しました。 結構たくさんの「ありがとう」に囲まれています。 仕事が終わって、バス停でバスを待っていました。結構長い時間待っていたのですが、そういう時はぶつぶつと「ありがとうございます」と唱えています。 最近は、朝起きたとき、意味もなくまず「ありがとう」を10回くらい唱えます。 『脳は、合理的な理由・説明がないと不安定になって、その現象を探し続けます。先に「ありがとう」を100個言ってしまうと、「ありがとう」の現象がないのに、現象を一生懸命探そうとする。 そうすると、その日の朝から、目にするものに対して、「ありがとう探し」が始まるのです。(中略) 「ありがとう」を言った人は、一日中ずっと「ありがとう探し」をして、脳が「ありがとう」に満ち溢れながら一日を終えることになる。 同じように朝起きたときに、「あー、幸せ」と理由もなく言ってしまいましょう。「あー、幸せ」と20個言った瞬間に、「あー、幸せ」に相当する現象を20個探そうとするので、「これも幸せ」「あれも幸せ」ということになる。それで、「あー、幸せ」と言ってしまった結果として、幸せ探しを始めることになります。』 (心がなごむ秘密の話 小林正観著 宝来社 p.79) やっぱり、私って相当正観さんにハマッてますよね...。
『トイレに「うすしま明王さま、ありがとうございます」と書いておくと、いいことが起きるようです。
また、この「うすしま明王さま」がやる気になって神様とお話してくださる、トイレの真言というのがあります。この真言は、意味がわからなくてもいいから、とにかくその言葉を唱えると、勝手に現象が起きて、自分に楽しいものになるらしい。 その真言は「おんくろだのう うんじゃくそわか」といいます。 うすしま明王さまの名前を言い、「おんくろだろう うんじゃくそわか おんくろだのう うんじゃくそわか」と唱えながらトイレ掃除をすると、なぜかお金が入ってきます。そして、入ってくるお金にも、「0」が余分についてきます。』 (お金と仕事の宇宙構造 小林正観著 宝来社 p.55~) 私もトイレ掃除をするときには、「おんくろだのう うんじゃくそわか」という言葉を繰り返し唱えています。時には「ありがとう、ありがとう」だったり、「嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる」だったりします。 こんなことで臨時収入があるのだったら、楽しいですよね。
私の義母が、今大ブレークしている模様。何年か前までは、私がお金を貸していたくらいなのに。
SKP(http://skpskp.com/)で扱っているものに「友を呼ぶ財布」というのがあるのですが、これを以前、義母にプレゼントしました。ただ小林正観さんのことは知らないようでした。 「最初に入れるお金の額が大事。初めにたくさん入れておくと、その財布はいつもたくさんの状態にしようとするんだって。」というような情報をついでにお伝えしておきました。 義母は、そういうことを言われたとおりに正直に実践するのです。そして最近のお金の使い方を見ていると、人に喜ばれるような使い方をされています。校舎を作るので寄付を集めていると聞けば、それなりの額の寄付をする。食事などは気前良くご馳走してくださる、など。それでいて、自分の贅沢のためにはあまりお金を使わないのです。住んでいる家も傷んだ箇所が至るところにあるのにリフォームなどもせず、家電なども古いのをそのまま使い続けています。 そういうこともあるのでしょうが、最近はすごくお金の回りが良くなっているみたいです。そして入ってきたお金も、更に人のために使っている。執着のない、すごい方だと思います。 自分がお金持ちにならなくても、自分の回りの人の金回りが良くなれば、それによって自分の金回りも良くなってくる。正観さんは人に甘えて生きれば楽ですよ、ということをおっしゃいますが、私もそんな感じです。
最近、私が一番心がけているのは、「刹那主義」です。
「刹那主義」とは・・・ 『経営の帝王学というのは、目の前の人を大事にし、目の前のことを大事にすること、それだけです。これが本当に正しい刹那主義です。刹那主義の意味がわかったら、あとは人生の中で何も考える必要はなさそうです。(中略) 私たちの人生は、3秒前はもう過去なのです。2秒前も過去です。今、目の前にこの人がいるこの瞬間、この刹那だけが、今なのです。 そうしたら、もう過ぎてしまった、悔やんでもしょうがない過去について考える必要はありません。(中略) 今、目の前にいる人を大事にする。目の前にやるべきことがあったら、ただひたすら大事にしてやっていく。私たちには、それしかできない。(中略) 簡単なことです。私たちは、未来のことを考える必要はありません。過去のことを考える必要はありません。 ただ、今、目の前に存在する「人」「こと」「もの」を大事にすること。それを「刹那主義」といいます。すなわち、「念を入れて生きる」ということです。』 (お金と仕事の宇宙構造 小林正観著 宝来社 p.68~) 自分が刹那主義と正反対のような状態だからこと、このことをいつも意識していたいと思うのです。いつも未来の心配をし、過去を後悔しているので、今与えられている「人」、「こと」、「もの」に対して、すごく鈍感になってしまっていると思います。 小林正観さんが一つだけ心がけているというのが、「念を入れて生きる」ということだそうです。本のどこかに書いてありました。つまり、刹那主義のことです。 私も正観さんを見習いたい。まずは今与えられていることに感謝し、大事にしていきたいと思います。
今日も夜は外食することになったので、是非行こうと目をつけていたカレー屋さんに行きました。私がその店の前を通ったときには、店にお客がいるのを見たことがありません。もしかしたら昼間は入っているのかもしれませんが、夕食時にはほとんど人影は見られません。なので、外食する機会があったら、是非行こうと思っていました。
お店に入ってみたら、なんと1人お客さんがいました。そして、私が待っている間、たぶん近くのお店の人だと思うのですが、「ポークカレー 4つお願いします」と注文して帰っていきました。なんとまあ、嬉しいこと。 私はその店の一番の売りのカレーを注文。食べてみると、結構美味しかったです。なんでお客さんこないんだろうと思いました。 どうぞ、ますます繁盛しますように!
小林正観さんは、滅多にメモを取らないそうです。そんな小林正観さんが「これはいい言葉だ」ということで自分のノートに書き写した言葉というのがあるのです。どんな言葉か、興味わきませんか?
それは『そこから先は神の領域』という言葉。三浦綾子さんという作家のエッセーの中に出てくるそうです。 『この言葉を、自分の中にいつも思い出すように生きています。結局やるべきことは、“うたし“な人、きれいな人、謙虚な人、素直な人、誠実な人という5つの人格を目指すのですが、「そこから先は神の領域だ」ということです。 結果として数字や売り上げが、こうなるに違いない、というのは驕り。「私」にできることは、その5つを目指すことであって、「そこから先は神の領域」。 だから、売り上げがどうの、という話になると、神の領域に踏み込んでものを考えている、ということになる。(中略) 三浦綾子さんは、ガン、膠原病、パーキンソン病にもなりました。そういうときに、自分ができることはするのですが、「これはどういう意味があるの」と一々問いかけませんでした。(中略) 三浦綾子さんは、クリスチャンだったから、そう思えたのかもしれませんが、私たちはクリスチャンや仏教徒でなくても、「そこから先は神の領域」ということを頭の中に入れておくと、人生がすごく楽になります。』 (心がなごむ秘密の話 小林正観著 宝来社 p.70~) 私も、この言葉を知って、ずいぶん気持ちが楽になりました。会社は業績給なので、成果を上げなくてはいけない、自分のやったことは認めてもらわなければならない、というプレッシャーがずいぶん強かったのですが、今は自分の能力でできることは精一杯やる。でも、それをどう評価されるか、その辺は私の関知するところではない。「そこから先は神の領域」そう開き直って仕事をしています。 周りを見ると、自分のやったことを認めて欲しいということで、アピールばかりする人がいます。私がやったことを人が自分のことのように上司にアピールしている人もいます。でも、私は私のできることをする。そう考えて仕事をするようになったら、楽になりました。私にとっても、この言葉というのは、大変救いになる言葉となりました。
小林正観さんは、いつも「投げかけたものが返ってくる」とおっしゃいます。それも「倍返し」で。否定的なことを投げかければ、自分にも否定的なものが返ってくる。人の悪口を言えば、世の中のどこかで自分に対する悪口を、その倍言われることになる...。
最近、その反応がとてもはっきりと自分に現れるようになった気がします。 自分の思い通りにならないようなとき、ものに八つ当たりしてしまうこともあります。そしてら、ちょうどそれが跳ね返って自分の頭にぶつかるとか、そういう現象が何回か続けて起きました。100回やったって、そういう具合に跳ね返ることはないだろう、と思われるような跳ね返り方をしたりします。それで、「なんでよりによって」と思うわけですが、実は自分が投げかけているんですよね。 それから、先日こどもがぐずってどうにもならなくて、その行動にやはり腹を立ててしまったことがあります。そうした時、その日一日、自分にとって面白くないことが起きたり、とか。 「投げかけたものが返ってくる」という宇宙法則をはっきりと示されたような気がしました。なので、損得で考えるとやはり否定的なものを投げかけるのは自分にとってやっぱり損。なるべく、肯定的な投げかけをしていきたいと思っています。
人から喜ばれる存在になること。小林正観さんはいつもおっしゃいます。でも、自分に何ができるんだろう?
その小さな試みの一つとして、例えばこんなことをしています。 運転をしているときに、対向車線の車が右折しようとして止まっているために、後ろにずーと車が連なってしまっていることがあります。こんなようなとき、なるべく一時停止して、道を譲ることにしています。 私も信号を右折しようとしていて、対向車がなかなか途切れないようなとき、後ろで待っている車に申し訳ないなあという気持ちで一杯になります。だから一旦停止して曲がらせていただけたら、すごく嬉しいのです。だから、私も小さなことではありますが、なるべくなら自分も譲ることで、少しでも喜んでいただければと思っています。 『今まで私たちは、人の上に立ちなさいとか、抜きん出なさいとか、人と比べてもっといい給料をとりなさい、というような概念を埋め込まれてきました。 しかし、私たちが生まれてきた意義は、「いかに喜ばれる存在になるか」ということに尽きるのです。そのように喜ばれる存在であり続ければ、商売的には必ずはやって栄えていきます。 どうやって儲けようと考えている間は、お客さんはこないでしょう。』 (お金と仕事の宇宙構造 小林正観著 宝来社 p.166)
『冗談半分で言いますが、半分は本気で言います。
皆さんは、おいしい店、有名な店で20分も30分も並んで食べようとすることを、今日からやめてください。(中略)このようなお客さんの入っていない店に入ってあげてください。(中略)一日に10人しか来ないラーメン屋さんでは、私の600円が、なんと10分の1の売り上げを占めるのです。喜ばれ方が全然違います。(中略) このように、喜ばれるような使い方をし続けていると、いつの間にかお金自身があちこちの財布で、ひそひそと話をするようになります。(中略)そして、あちこちでそのような噂話を聞いたお金が、自らの意思でこの人の家に来ようとします。』 (お金と仕事の宇宙構造 小林正観著 宝来社 P.10~) 今日から、「お金と仕事の宇宙構造」を読み始めています。上記の箇所は、その本の冒頭部分です。 いつもは夕食は家でとりますが、たまたま今日に限って、食べてきて欲しいと電話がありました。外出先から帰ってくるのが遅くなったようで、外で食事を済ませてしまったから、ということでした。 この部分を読んだばかりだったので、帰り道、さっそくはやっていなさそうな店を探しました。そしたらすぐ、見つかりました。昔ながらの中華屋さん。そのあい向かいには、美味しそうなラーメン屋さんがあります。店に入ってみると、老夫婦、そしてその息子さんと思われるおじさん合わせて3人の店員の人が、びっくりしたように私を迎えてくださいました。店には、顔を赤くしたおじさんが一人、お酒を飲んでいました。きっと常連さんなんでしょう。 中華丼をひとつお願いしたものの、もう少し支払ってあげたくなって、餃子を追加で頼みました。結局酔っ払いのお客は私の食べている最中に帰ってしまい、お店には私ひとりになってしまいました。お金を支払って、店を後にしました。でも気分はとてもすっきりしていました。 ふと回りを見ると、美味しそうなお店が並んでいます。こんな中、親子3人でお店を維持しているのは、大変だろうなあ。是非、繁盛していただければと思いました。
以前、ありがとうバンダナを故障したウォシュレットや洗濯機にかけておいたら、正常に動くようになった、ということを書きました。それほどの効果のあるものならば、ただ置いておくのはもったいない。ということで、預金通帳をありがとうバンダナでいつも包んでいます。
これも効果があるかないかはわかりませんが、いろんなこと試してみて、楽しんでいます。 と、この文章を書いていたら、こどもが駆け寄ってきて、手紙を渡してくれました。中を見てみたら、こんなことが書いてありました。 「とうさんへ とうさんのことだいだいだいすきだよ。」 どうもありがとうございます。ありがとう。 おとうさんのこどもに生まれてきてくれて、ほんとうにありがとう。
昨日、子供がお腹が痛いといって横になっていたら、急に嘔吐した。今朝、妻が吐き気がすると言って苦しそうにしていた。下痢もしているらしい。で、私は朝は調子良かったのに、昼食時全然食欲がなく、それから激しい下痢に見舞われ、吐き気も少しし始めた。熱はなさそうだった。
ノロウィルスに感染した時の症状をインターネットで調べてみた。 『主症状は吐き気、嘔吐、下痢、腹痛であり、発熱は軽度です。』(厚生労働省ホームページより。) まさにどんぴしゃり。昨日子供が嘔吐したものを処理しているときに、感染したのかもしれない。久々に体調を崩した。早めに帰宅し、少し横になっていたら、楽になった。 日頃、体調がいい状態が続いていることが、とてもありがたく感じられた。 災難に遭いそうになったら、遭う。 病気になりそうだったら、なる。 死にそうになったら、死ぬ それが災難よけの最良ほ方法 良寛和尚の言葉 (宇宙を解説 百言葉 小林正観著 弘園社 p.104)
小林正観さんは、五戒(不平不満・愚痴、泣き言・悪口・文句を言わない)を守っていると、いつの間にか頼まれごとをするようになる、ということをおっしゃいます。
私自身は、ずっと頼まれ事がはじまらないなあ、などと思っていたのですが、ふと気がつくと色々なことを頼まれていました。 ひとつは町会(自治会)の役員の仕事。自治会の仕事は結構大変です。特に夏とかは、毎週のように行事に駆り出されました。打ち合わせにも時間もたくさん費やします。損といえば損なのかもしれませんが、でも結局は宇宙預金をしていたことになるんでしょうか。 『自分の流した汗というのは2通りの報酬で返ってきます。ひとつは金銭で、もうひとつは「宇宙預金」(パワーや人脈)というものです。お金か宇宙預金か、どちらか好きなほうを選べます。お金の方は、定期預金にしても利率は0.1%くらいですが、宇宙預金は年利が1000%で複利ですから、来年は100万%、再来年は10億%になり、お得です。』 (宇宙を解説 百言葉 小林正観著 弘園社 p.165) それともうひとつは講師の仕事。自分にそんな資格はない、能力なんてない、と思っていますが、頼まれたから仕方なくやっています。これも準備に時間がかかりますし、プレッシャーもかなりあります。 でも、頼まれたことは、なるべくやっていきたいと思っています。 こんな私に頼んでくださって、ありがとうとざいます!
我が家のトイレには、「おんくろだのう うんじゃくそわか」という言葉を書いた蓮の花の写真のはがきを飾っています。
『お釈迦さまの台座の花というのは、蓮の花です。なぜ、お釈迦さまの台座に蓮の花が選ばれたのか。 蓮の花は、泥水の中からしか立ち上がってきません。泥でなければ立ち上がって来ないのです。真水であったなら、蓮は立ち上がって来ない。泥がどうしても必要なのです。 泥とは、人生になぞらえれば、つらいこと・悲しいこと・大変なこと。 蓮の花とは、まさに人生の中で花を咲かせること。そして、その花の中に実があるのが「悟り」ということにほかなりません。つらく悲しい思いがなければ、人間は悟ることがないのだ、ということを、お釈迦さまは教えたかったらしいのです。(中略) それ(蓮の写真を飾ること-注記)がどのように変わるかというと、悩み・苦しみ・苦悩・煩悩・つらいこと・悲しいこと・大変なことを「もしかすると、これは美しい花を咲かせるために、悟るために必要なものなのではないか」と思わせるような影響を与えたり、変え方をするのではないかということです。 その結果として、当然「つらい」「悲しい」「大変だ」という言葉が出てこなくなるでしょうし、前向きに明るく楽しい人生観になるのではないでしょうか。』 (幸せの宇宙構造 小林正観著 弘園社 p.43~) 「おんくろだろう うんじゃくそわか」というのは、トイレ掃除をするときに、この言葉を唱えると、効果がより増すというおまじない。(これも小林正観さんの本の中に書かれています。) なので、蓮の花の効果と、おまじないの効果の相乗効果が働いているのかもしれません。
私の場合、舌の色・表面のなめらかさに今の健康状態が表れているような気がします。胃が痛くなるほど悩んだりしたときには、舌のある部分に小さな亀裂が入ります。体調を崩しているときは表面に苔がついているような、くすんだ感じの色になります。
反対に健康状態がいいときには、そのような亀裂がなく、赤味を帯びたきれいな色になります。 「ありがとう」あるいは「嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる」という言葉をずっと言い続けていると、舌の状態がとてもいい色・つやになっている気がします。 やっぱり、「ありがとう」という言葉は、からだにいい影響を与えているのかもしれません。
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